「Yourpedia・トーク:基本方針」の版間の差分

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(出典明記と言う名の偏見、排除を無くす: 新しい節)
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また、この場所に集まる人間も、百科事典を作りたくて集まっているわけでもなさそうだし、上の人はWikipediaをして「偽善」と言ってるが(それ自体は否定しないが)、それすらも拒絶した上で何かまともなものが残るかといえば、個人的にはこの点も怪しいように思う。
 
また、この場所に集まる人間も、百科事典を作りたくて集まっているわけでもなさそうだし、上の人はWikipediaをして「偽善」と言ってるが(それ自体は否定しないが)、それすらも拒絶した上で何かまともなものが残るかといえば、個人的にはこの点も怪しいように思う。
 
それでも続けたいのなら、管理者と編集者の人はまあ、せいぜい恥曝しにならないように頑張ってくれ。警告はした。俺は降りる。[[利用者:221.171.153.17|221.171.153.17]] 2008年7月6日 (日) 21:19 (JST)
 
それでも続けたいのなら、管理者と編集者の人はまあ、せいぜい恥曝しにならないように頑張ってくれ。警告はした。俺は降りる。[[利用者:221.171.153.17|221.171.153.17]] 2008年7月6日 (日) 21:19 (JST)
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== 出典明記と言う名の偏見、排除を無くす ==
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ウイキぺディアは、一見、公平さを期すために行われている、
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出典明記と言う名の呪縛・束縛、管理者による記事排除制度があります。
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これは、考古ばかや頭の悪い人たちが、「遺跡、記事や論文などに出典が無いのは、信用性が欠ける」と大きな勘違いをしているものに似ています。
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出典明記の問題点として考えられるのは、以下のような点です。
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・文献が無いと記事が正確でない、記事を書くことが出来ない
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 →文献を誰がどのような目的で書いたか検証しない。ただ史料があれば鵜呑みする危険性  国史など為政者が都合の良い解釈をして書き残したもの
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・経験や実体験を書くのに出典明記と強制
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 →文献が無くても真実はあるのです。むしろ記録が残っていない真実の方が多い

2013年8月5日 (月) 11:40時点における版

Yourpedia:基本方針に改名したほうがいいのかな? 200.238.102.162 2007年4月9日 (月) 23:54 (JST)

偏見と中立

私はここの方針の偏見が気に入っています。偏見といいながらかえって中立になるような気がします。ウイキぺディアのような偽善の中立より、はるかに良くなると思います。一つ心配事があります。今のところ編集競争が無いですが、いずれ生じる日が来るでしょう。その時ウイキぺディアは中立を盾に訳の分からないことを言ってきましたが、今度は偏見を盾に訳の分からないことを言ってくる人がいると思います。その時はどう対応していくのでしょうか?同意見の向上の為の編集は許すが、基本的には反対意見を消すのを禁じないと駄目なような気がします。--Shoon 2007年5月24日 (木) 13:05 (JST)

とりあえず、Yourpedia:編集についての方針のようにするつもりです。問題が起きたときは、起きてから考えます。--Beyond 2007年5月24日 (木) 19:21 (JST)


何だかなぁ…

ここはアレだ、ちと古い話だが、2ちゃんねるに対する1ch.tvと同じニオイがする。 ここの設立の動機を見るに「ウィキペディアが信用できないから」というだけであり、要は邪推も交えれば「ウィキペディアで不快なことがあったから、今度はウィキペディアにこっちから嫌がらせしてやろうと思った」とも読めるわけで、「インターネット百科事典の必要性」を真摯に考えて作られたようには思えず、ひいては百科事典としてもWikipediaより優れたものになるとは到底思えない。

また、この場所に集まる人間も、百科事典を作りたくて集まっているわけでもなさそうだし、上の人はWikipediaをして「偽善」と言ってるが(それ自体は否定しないが)、それすらも拒絶した上で何かまともなものが残るかといえば、個人的にはこの点も怪しいように思う。 それでも続けたいのなら、管理者と編集者の人はまあ、せいぜい恥曝しにならないように頑張ってくれ。警告はした。俺は降りる。221.171.153.17 2008年7月6日 (日) 21:19 (JST)

出典明記と言う名の偏見、排除を無くす

ウイキぺディアは、一見、公平さを期すために行われている、 出典明記と言う名の呪縛・束縛、管理者による記事排除制度があります。

これは、考古ばかや頭の悪い人たちが、「遺跡、記事や論文などに出典が無いのは、信用性が欠ける」と大きな勘違いをしているものに似ています。


出典明記の問題点として考えられるのは、以下のような点です。 ・文献が無いと記事が正確でない、記事を書くことが出来ない  →文献を誰がどのような目的で書いたか検証しない。ただ史料があれば鵜呑みする危険性  国史など為政者が都合の良い解釈をして書き残したもの

・経験や実体験を書くのに出典明記と強制  →文献が無くても真実はあるのです。むしろ記録が残っていない真実の方が多い