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1920年代は1920年から1929年までの10年間を指す。

できごと[編集]

時代背景[編集]

アメリカ[編集]

第一次世界大戦特需アメリカは大いに沸いた。アメリカ経済は空前の大繁栄をとげ、戦前の債務国から世界最大の債権国に発展した。世界経済の中心はロンドンからニューヨークウォール街に移った。大衆の生活は大量生産・大量消費の生活様式が確立する。一般には「黄金の20年代」と呼ばれ自家用車ラジオ洗濯機冷蔵庫等の家電製品が普及した。1920年には女性への参政権が与えられるようになった。ベーブルースによる野球人気やチャップリン映画、黒人音楽のジャズなどのアメリカ的な文化が開花した。一方で1919年に制定された禁酒法によってアル・カポネなどのギャングが夜の帝王として街を支配するようになった。

日本[編集]

1919年までの日本は、第一次世界大戦の特需景気(大戦景気)で、繊維造船製鉄などの製造業や、海運業が大いに発展した。戦争に乗じて欧州諸国の市場であったアジアに商品の販路を広げた。これらの理由により輸出が大幅に伸びて、日本は米国同様に債務国から債権国に転じた。この好景気を背景に東京や大阪などの大都市で百貨店が営業をはじめ、ラジオ放送や雑誌の創刊が行われた。

1920年代に入ると大戦景気の反動による不況戦後恐慌)をはじめとして、震災恐慌金融恐慌など経済的な苦境がつづいた。都市の中間層の増大は大正デモクラシーといわれる政治上の主張としてあらわれ、一般大衆の選挙権を求める運動 (普通選挙法)がさかんとなった。本格的な政党政治がおこなわれ、一方では社会主義思想が広まって労働争議小作争議が相次いだ。

中国[編集]

中国では軍閥が割拠し政治的な混乱が続いた。租借地において列強による植民地支配が行われた。上海が魔都或いは東洋のパリとも呼ばれナイトクラブ・ショービジネスが繁栄した。

国際社会[編集]

国際社会でも、軍縮平和の動きが広まり、国際連盟が成立した。ヨーロッパではパリ講和会議に伴うヴェルサイユ体制が、アジア・太平洋ではワシントン会議に伴うワシントン体制が成立し、1930年代中盤までこの二つの体制が戦間期の国際秩序を維持することになる。

世界初の社会主義国家であるソビエト社会主義共和国連邦 (ソ連)の成立もこの時代に大きな影響を投げかけた。これに倣ってドイツやハンガリーで社会主義革命の動きは見られたが、政権は長続きしなかった。ソ連もコミンテルンを通じて世界同時革命を掲げたが、その指導者であったトロツキーが失脚すると、一国社会主義を唱えるスターリンが権力を握り、方向を転じることになった。

アメリカの経済的繁栄と、それによる資金援助(ドーズ案ヤング案)により、ヨーロッパ各国は1920年代後半には相対的な安定期を迎えた。ロカルノ条約パリ不戦条約が結ばれたのもこの時期である。しかし1929年世界恐慌が発生すると、世界情勢は一変する。植民地や資源を持たぬ日本・ドイツ・イタリアと、それらを持つイギリス・フランス・アメリカとの対立が激しさを増し、世界は再び戦争の道へと足を踏み入れることになるのである。

人物[編集]

ヨーロッパ[編集]

政治[編集]

哲学と思想[編集]

文学[編集]

芸術[編集]

ファッション[編集]

音楽[編集]

演劇と映画[編集]

科学[編集]

探検[編集]

アメリカ合衆国[編集]

ラテン・アメリカ[編集]

アフリカ[編集]

西アジア[編集]

インド[編集]

中国[編集]

日本[編集]